野蛮ギャルド建築学会第1回学術報告会論集刊行

〇洒脱8割と本気2割:

昨年11月19日、開催された野蛮ギャルド建築学会設立大会、兼、藤森照信先生古稀記念学術報告会の論集が刊行された。村松研の助教の岡村健太郎さんと編集者の加藤郁美さんの多大なるご尽力で、小粒だけれど内容の詰まったA5版冊子になった。表紙は写真家増田彰久さん撮影の高過ぎ庵。ぼくは、手に取って、あるいは、机の上に置いて眺めつつ、思わず笑みがこぼれてしまう。

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野蛮ギャルドというのは、もちろん、藤森さんの造語で、先鋭的だがすこし変、あるいは、最近、ぼくが好んで使っている用語では、卒業生の原川さんの造語による「異常式」とほぼ同じだろう。常識でもなく、非常識でもなく、現実を突破する異なった力をもったふるまい、精神、その結果、である。

 

論集は、野蛮ギャルド建築学会創設宣言にはじまって、A.都市・その他、B.建築、C.素材・部材の三つのカテゴリーでの当日の報告が記録されている。さらに、当日参加できなかった西澤泰彦さんと会の最後に報告された藤森さん本人の「ルーマニアのヘンな建築」が収録されている。続いて、増田彰久さん、堀勇良さん、国広ジョージさんなどOBからの祝辞、最後に藤森さんご夫妻のご挨拶、末尾には、野蛮ギャルド建築会規約が掲載されている。

 

何人かの発表者は、この建築会のもつ意味を理解できず、全部洒落、あるいは、全面本気になってしまっているが、まあ、洒脱8割本気2割が理想であろう。それが野蛮ギャルド、もしくは、異常式のもつ本来の意味である。本気の中に洒落が入ることは、とても重要であるし、本気10割の何十倍かの努力、能力が必要とされ、それが社会を変えていく。

 

当日、藤森さんから授与された大賞、中賞、少賞は、それぞれ、岡村健太郎さん(東大助教)「塗ルカ焼クカー野蛮ギャルド素材:焼杉」、内田祥士さん(東洋大教授)「路上を仰ぎ、天井裏を覗く―電線派配線作法」、谷川竜一さん(金沢大学助教)「ハルピン女はビロードまたたく夢を見る」で、3人とも学術業績の欄に記載している。とてもすごい内容で、これでそれぞれ一冊の本ができるはず。残念ながら賞に漏れたが、ぼくの学術報告は、「スコットは南極で何を見たか?-心身一元論としての頭立ちスケープの可能性」であった。

 

〇1/100の力

東京大学生産技術研究所というところは、戦時下の1941年に創られた第2工学部に端を発している。本郷にある第1工学部に対して、常に何らかの差異を積極的に示す必要があったし、それは今でもある。それは建築史研究でも同様で、藤森さんの口癖は「本郷はお公家さん、生研は野武士」、野蛮ギャルド建築会はその延長線上にある。昨年の学術報告会の雰囲気も、かつての藤森研のゼミに似ていた。

 

生研には、150人程度の教員がいて、工学部だからすべての学科が揃っている。土木・建築は、ひとつの部門をつくり、ぼくも属するそれは人間・社会部門と称されている。ほとんどの教員は、そこに山あるから登る、あるいは、他との競争、というのは工学や理学者の本能的な態度を取り、新たなものを世界で誰よりも先に発見したり、発明したりすることに心身が自動的に動いてしまう。でも、ぼくたちの建築史(都市史)は少し違う。社会の問題点の原因を過去にさかのぼって明らかにしたり、過去から教訓を獲得したりする。さらには自分たちの学問自身に批判的な視線を投げかける。何も作らないし、お金もってこない。毎日ぶらぶらしている。ということで、生研の中では創設当時から評判は芳しくない。

 

つまり、1/100を生きることはそれほど容易ではない。傍から見ているほど、安穏とできるわけでもない。それでも、関野克、村松貞次郎藤森照信、そして、ぼくというように細々と命脈を保ってきている。本郷では、伊東忠太関野貞、藤島亥治郎まで、前史で、太田博太郎、稲垣栄三鈴木博之、藤井恵介・伊藤毅、再建では加藤耕一と、保守本流が確固として受け継がれ来ているのと対比的だ。

 

連句の如く

丸谷才一によれば、「連句は五七五の長句と七七の短句とを互ひ違ひに組合わせて作る詩です。原則として、何人もが一堂に会して合作でやる。」(『歌仙の愉しみ』、岩波新書)であって、近頃この本を風呂に入ったり、通勤の途上で、少しずつ読んでいる。作ることも「愉しい」のだろうが、この本を読むことも「愉しい」。大岡信岡野弘彦丸谷才一という稀代の文人、といってもそのうちのお二人はもうお亡くなりになっているが。

 

研究を世代を超えてつないでいくのは、連句に似ていると、と滋味溢れるこの本を途中まで読んではたと気づいた。発句に始まり、脇があり、そして、第三句、さらに第四句。それぞれが定式というものがあると、この本は言っている。発句は挨拶のようにそっと出すというのは、いかにも関野克さんの人柄に似ている。二句目の脇は寄り添うことで、これも関野さんに寄り添った村松貞次郎さんのようだ。第三句は、難しいらしい。第二句に離れなくてはいけないが、そんなに離れてはいけない、ということで、まさに藤森さんを形容している。建築家になって大いに展開しているが、決して生研建築史研究のヘンなスタイルからは外れない。

 

さて、第四句は、ぼくに当たるのだが、「非常に穏やかに第三を補佐する」とのこと。そういわれて、少しほっとした。あと34か月で退任する身としては、つつがなく、穏やかに藤森さんを補佐することができ、次につないでいけたとはず。連句としても合格となるだろう。この野蛮ギャルド建築会の創設も、つなぎを作る仕組みのひとつである。では、第五句はどうなるだろうか。後進のみなさん、よろしくお願いします。洒脱で、遊戯性のある連句の如く、野蛮ギャルドな建築史をつないでいって欲しい。