ぼくまち通信(3)超絶、水谷先生!

 

超絶!水谷先生:

朝8時20分、私の研究室で隊長や副隊長たちと待機していると突然、ぼくまちの助手穴水さんのところに上原小学校から電話がかかってきました。今日は時間割が急きょ変更になり、8時半からの開始となった、とのこと。いつもは8時45分ですから8時30分に出てゆっくり歩いていくのが習わしです。急いで出立して到着したのが8時40分、私たちのいない間に、担任の水谷先生がつなぎの授業をやってくれていました。

 

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それは見事でした。私が言ってもあまり真実味がないでしょうが。前回、指令が発表されています。それを受けて、子供たちはグループになって意味を調べたり、探検に行ったりと指令の解読を進めています。つなぎのほんの10分くらいの時間で水谷先生が行っていたのは、その復習でした。前回、何をして、何がわかったかを子供たちに質問し、鋭く問いを重ねたり、ほめたりするのです。子供たちの発言も的を射ていましたが、それを引き出す水谷先生の教育の技はほれぼれするものでした。少し遅れてきた隊長、副隊長たちもその技に圧倒されて、呆然としていました。それぞれの指令の意図を読み解き、どのように導いていくかの手法に格段の差があることは、もう歴然としていたからです。

 

水谷先生の里まち:

ぼくまち第3回目の本日5月15日(月)は、まず、担任の水谷先生と私がそれぞれの里まちについて紹介し、2時間目以降はグループごとに指令解読を進めます。

 

水谷先生の里まちは、東京の台東区秋葉原に近い竹町というところです。「まちのプライドを探しなさい」そういう指令を受け取ったということで、水谷先生は話を始めました。まず、まちのプライドとは何か、それを読み解いていきます。ご自身の里まちの紹介を通して、実はこのプログラムの構造を子供たちに伝えているのです。「担任の先生の里まち」という授業は、ここ数年の試みです。担任の先生によりプログラムに関与してもらいたい、ということから始まりました。

 

でも、水谷先生の話はさらに当初の私たちの意図を超えて、このプログラム、つまり、まちリテラシーとは何か、どうやって指令を読み解いていくか、いくつかの教えが重層的に盛り込まれていました。そして、最後は提言になっています。つまり、どのようにまちに関与するかというスキルへの応答です。水谷先生は、ぼくまちに3回目の登場です。プログラムが修正されたのは、実は過去に水谷先生からのフィードバックがあったからです。もはや脱帽です。

 

博士の里まち:

 ついで私自身の里まち紹介でした。準備はしていったのですが、水谷先生の里まち紹介に圧倒されて、その場で指令形式に書き変えました。「里まちとはなんでしょうか?」それを明らかにしなさいという指令です。これも、自分の里まちの紹介をとおして、里まち自体をどのよう考えたらいいかという二重構造になっています。

 

 私自身、静岡県の農村で育ち、その村が嫌で、東京に出てきて、世界中を転々としました。北京、ソウル、ボストンに比較的長く滞在し、それだけでなく、ハノイバンコクジャカルタをそれぞれ数年にわたって克明に調査した経験があります。近年、故郷に帰り、そこをよく観ることを継続しておこない、以前のような嫌悪感はなくなって、いとおしい気持ちが出てきました。そんな体験、心持の変化を話しました。結論は、住めば里まち、住まなくても里まち、住んでも里まちではない。の三つのフレーズです。それがまちリテラシーと結びついていることもそこに組み入れています。

 

 今こうやってロジカルに書いていますが、実際の話の際は舌足らずになってしまい、辛うじて合格したにすぎません。後で娘に聞くと、同じ言葉ばかり使って、浅い話であった、と低い評価でした。超絶、水谷先生の話は、決して内容が新しいわけではありませんが、わかりやすく同じことを何度も丁寧に繰り返し、細部の形容、説明が際立っていました。私の場合、いつもそうですが、全体の流れを重視するために、細部がおろそかになってしまいます。早く早く結論にたどり着こうとして、話が小走りになってしまうのです。

 

 本日は、学生たちも私も、水谷先生の伝えるという技芸に圧倒された日でした。ぼくまちは、子どもたちだけでなく、私たちにも大いに学ぶことがあること実感しました。

 

第4回ぼくまちの予定:

 明日5月19日(金)第4回目のぼくまちは、次回の中間発表に向けて準備します。発表にはどんなことを注意したらいいか、そのための内容の補足に探検に出たり、議論したりします。