なぜ、いかに、私たちは、アジアの近現代建築に関心を持つのか?

 4月に公刊されたmASEANa Projectの2016年度の報告書は、アセアンの近現代建築のパイオニアを特集し、ハノイホーチミンの近現代建築の重要物件を掲載している。発行部数が少ないことと英語なので、わたしが書いた文章の日本語原文をここに転載する。タイトルは、「なぜ、いかに、私たちは、アジアの近現代建築に関心を持つのか?-mASEANa Project 2015-20 の歴史と2016年度の活動報告」であり、やや長いけれど、記録として全文を載せる。なお、報告書のPDFは、簡便な形でアクセスできるように現在画策中。

 

2015年11月1日、東京上野。

東京上野に静かにたたずむ国立西洋美術館の地下一階会議室に、2015年11月1日、アセアン10か国のうちの9か国から近現代建築の専門家が集まった。1959年、ル・コルビュジエによって設計された、静謐とも形容できるモダン・ムーブメントの代表建物の中で、アセアンの近現代建築に関する新たなプロジェクトが産声を上げたのは、きわめて現代的意味を有している。世界を席巻したモダン・ムーブメントがスクラップ&ビルトの危機にさらされていて、それを克服するためこの会議の翌年2016年夏、この国立西洋美術館世界遺産に認定された。そして、その余勢を駆って、さらに危機にあるアセアンのモダン・ムーブメントの発掘、評価、記録、再生などを目標とした新しいプロジェクトがこの場所で生まれたのは、情報や思考、価値観が瞬時に世界を駆け巡るという意味で、現代的であり、かつ世界の緊密なネットワーク化を象徴していた。

 

この短い論考で、私は、後々のために、なぜ、いかに、201511月、のちにmASEANa Project2015-20と命名される小さなグループが立ち上がり、2016年の一年間、どのような活動をおこない、いかなる成果を得たのかを述べようと思う。

 

●三つのグループ

201511月のこの集まりは、三つの異なったグループ、すなわち、DOCOMOMOグループ、ICOMOSグループ、そして、mAANグループで構成されていた。

 

DOCOMOMOは、1988年、オランダで設立された、モダン・ムーブメントの記録と保全を目的とした国際的なグループである。現在の会長はその三代目、ポルトガル人のアナ・トストエス博士である。全世界で72か国に広がるこの国際組織の日本支部DOCOMOMO Japanとして 2000年に認定された。1920年頃から欧米に生起した新しい建築の波、すなわち、モダン・ムーブメントは、欧米以外では、ブラジル、日本へと大きく押し寄せた。それが、常識的理解であり、その結果がル・コルビュジエとその弟子たちによる上野の国立西洋美術館なのである。今回は、ドコモモインターナショナル会長のアナ・トストエス博士と、日本支部代表、松隈洋博士、副代表の山名善之博士などがこの会に参加していた。

 

1965年に設立されたICOMOS は、2005年にその組織の中に20世紀委員会を設置した。世界遺産の建造物についてユネスコに諮問するこの組織は、世界遺産が古いものに偏っているという批判を乗り越えるために、近現代建築への関心を20世紀委員会にその使命を託した。201510月末、福岡でICOMOSの世界大会が開催されたこともあり、アセアン関係のICOMOS各国会員も上野のこの会に出席していた。ただ、ICOMOSの関係者は、考古学関係、前近代のモニュメントに強く、20世紀委員会の委員は多くDOCOMOMOと重なっている。

 

三つ目のmAANは、2000年、マカオで、私とシンガポール大学Johannes Widodo 博士が中心となって設立したアジアの近現代建築について考えるという組織である。modern Asian Architecture Network を省略したこの組織は、modern の頭文字が大文字でなく、小文字である点に端的にその設立の意図が込められている。DOCOMOMOが世界へと普遍的なモダン・ムーブメント建築の保全と記録を目指し、それがアジアに手を伸ばし始めたことに危機感を感じ設立されたmAANは、非西洋、とりわけアジアには、植民地期を経て独自の近現代建築の流れが誕生したという考え方を、この小文字のmodern に込めていた。201511月のこの会には、私、Widodo 氏を含めて、多くの、しかも若いmAAN関係者が関与していた。

 

●前史:mASEANa Project 2015-20が誕生するまで

201511月がmASEANa Project2015-20の誕生だとすると、その前史を少しだけ述べる必要があるだろう。これには、DOCOMOMO Japan国際交流基金が強くかかわっている。

 

20142月、DOCOMOMO Japan 代表の松隈洋博士が、国際交流基金の依頼でプノンペンの日本建築展覧会において日本建築の講義をおこなったことが発端である。カンボジア近現代建築のパイオニアのひとり、ヴァン・モリバン博士の作品群を見学し、また博士とも面会し、その建物に魅せられた。同年5月、副代表の山名博士もプノンペンを訪れ、カンボジア建築のパイオニアとも言える建築家ヴァン・モリバン博士と面会した。この時山名博士は、カンボジアにおける近現代建築の破壊の危機に関して助けて欲しいとの要請をヴァン・モリバン博士から受けている。山名博士は帰国後、プノンペンでの活動内容を国際交流基金へ報告し、その際、文化事業として近現代建築の事業を展開したいので協力して欲しいとの依頼を受けた。

 

 さらに、20146月、国際交流基金の派遣でDOCOMOMO Japanの山名博士、渡辺博士がバンコクに赴き、近現代建築に関して学術会議、ドコモモタイ設立の話をおこない、DOCOMOMOのアジア展開は急進する。2014年9月、ドコモモ国際会議が韓国ソウルで開催された際、カンボジアからヴァン・モリバン関係者2名がソウル、東京に国際交流基金によって招かれ、10月2日、東京の国際交流基金で国際会議「20世紀近代建築遺産の保存・活用を考える:世界・日本の状況とカンボジアのこれから」が開かれた。その後のパーティーの会場にて、国際交流基金のスタッフからDOCOMOMO Japanは、2018年。もしくは2020年のDOCOMOMO国際会議の東京招致をふくむ2020年までの共同事業を提案され、それがこのプロジェクトの発端となったのである。

 

mASEANa Project 2015-20

 プロジェクトの名前は、modern ASEAN architecture Project 2015-20である。そして、スローガンとして、Appreciating Asian modern を常に付随させている。ここでmodern が小文字なのは、mAANと同様、欧米発の大文字Modernだけでなく、複数のmodernが存在することを主張するためである。今回は、architecture の概念すら多様であることを主張して、これも小文字を使っている。

 

アジアの近現代は、植民地化され、独立戦争があり、独立後の動乱、経済成長と破たんなど、さまざまな変化が、年年歳歳生起している。しかし、そこで建てられた建物は、伝統建築に比して、まったく評価されていないのが現況である。ただ、現実に、都市や町や村にあるのは、ほとんどがこの近現代に建てられた建物である。この建物とともにひとびとは生活し、記憶としてとどめている。それを評価し、未来のための資源として、遺産として継承していくのは、そこに住む個人のため、地域のため、そして、人類すべて、さらに地球環境のためであると、私たちは考えた。短い副題にはその意図が込められている。

 

mASEANa Project2015-20 には、三つのゴール、すなわち、1.アセアン近現代建築のインベントリーを作る、2、アセアン近現代建築の歴史書を編纂する、3. アセアン近現代建築の保全を考える、がある。201511月のキックオフの国際会議を含めて、毎年度アセアンの異なる国を集中的に研究、調査し、その国の近現代建築を考える。そして、2020年には、その3つのゴールを世界に示すというのが、全体の構想なのである。

 

2016年度活動報告

2016年度は、年度初めの計画ではタイを対象とするはずであったが、タイ側のもたつきから、急きょベトナムを主対象として、計画を実行した。日本から私と山名博士、そして、それぞれの学生が参加して、ホーチミン建築大学、ハノイ建設大学の専門家、学生たちと協働で、それぞれの都市の近現代建築のインベントリー作成を実施した。このプロジェクトは、私が代表となっているトヨタ財団からの助成「アセアン5ヵ国における『都市遺産の保全に関するリテラシー』の向上」とも協働している。

 

その成果は、2017年1月ハノイで開催された第2回mASEANa国際会議、同年3月東京で開催された第3回mASEANa国際会議で報告された。本プルジェクトは、毎年、アセアンの異なる国を主対象としてインベントリーを作成すると同時に、メインテーマを決めている。本年度は、「アジア建築のパイオニアたち」というテーマであった。

 

以上述べた今年度の活動の成果が、この報告書の内容である。なお、2017年3月の第3回mASEANa国際会議二日目は、インベントリー作成、記録化などにおける体験や困難を分かち合うワークショップを東京大学生産技術研究所で開催した。その記録は別途小冊子として準備している。あわせてご覧いただきたい。

 

 私たち人間は無から生まれたのではないし、真空の中で成長したのでもない。様々な過去、経緯、そして、未来への展望をもって生まれ、生きてきている。同様に、このmASEANa Project 2015-20も、様々な過去、経緯、未来への展望を持ちながら、活動を進めている。それが歴史の一旦を担っているという責務を感じつつ、歴史家のはしくれとして、ここに記録しておきたい。

 

2017年3月17日、ヤンゴンにて。