千の効用

千という数字には、魔力があるかもしれない。このブログも退任まで1000日あるから始めたのだけれど、それは一万でもなく、百でもない。一万は、途方もなく多い数のようにみえて、とてもじゃなくて到達できない。一万日は、何しろ30年弱だから。でも、百だったら、すぐに到達してしまう。この匙加減が重要で、1000日となった。回数でいうと1000回は、念仏1000回、何か功徳がありそうにみえる。量が質に変化するに十分な数かもしれない。

 

身体が弱いので、私は民間療法に頼りがちで、若いころからいろいろやっている。近頃盛んにやっているのは、腕振り体操である。ネットで引くとやり方はすぐわかるはず。単に腕を何回も振るだけである。1000回やるとガンが治る、というのはやや眉唾であるかもしれないが、この1000回に惹かれてしまうのは、その数字に魔力が潜んでいるからだろう。中国の街角にいくと、老人たちがいろいろな運動をしている。後ろ向きに歩いているひと、ぶらぶらと小走りに脱力して動いているひと、そして、手をぶらぶらといつまでもいつまでも振っているひと、等々。

 

この腕振り体操は、太極拳の一種で正式にはシュワイショウという。意味としては、腕振りだが、実際の動きは少し訓練がいる。私もしばらくやっていた。ただ、今はやはり単なる腕振り体操に落ち着いている。腕をひたすら振っている姿のシンプルさは、無垢に見える。1000回で20分。それほど大した時間ではない。雑念を振り切ってひたすら数を数える。近頃は、足振りもやっていて、これはめざせ100回、今のところ左右あわせて100回。

 

肩甲骨が緩まり、心臓付近の血流がよくなり、健康になること請け合いなののだが、いまのところ誰も私の説得にのって後続するひとはいない。1000の魔力より、私のいい加減さの方が強いらしい。海千山千になるには、腕振り1000回が役立つと思うのだが。