退任までほぼ一千日

山田風太郎は、飄々とした風貌やおどろおどろしい内容などで、私の好きな作家のひとりだが、なかでも『あと千回の晩飯』は、愛読書のひとつである。朝日新聞に1994年6月から翌年3月にかけての連載を同時代的に読み、文庫本でも購入し、いまはkindleで時折り読んでいる。1922年に生まれて2001年7月に逝去した山田はこの時72歳。それから亡くなるまでに7年あって、千回どころかその二倍半の2500日以上生きたし、それと同じくらいの晩飯を食べたはずだ。もちろん、妄想の得意な小説家であるから書いていることは必ずしも本音だけではないだろう。でも、「老徴」を感じていたことは確かだろう。

 

その時72歳であった山田ほど、現在の私は年を取ってはいない。かといって、それに遠いわけでもない。ちょっと歩かないと足は浮腫むし、関節は痛む。山田はその本で山上憶良の沈痾自哀(ちんあじあい)の文を引いて、実はそれが決して大げさではなかったことを、連載の第1回で小声で慨嘆している。私もそれは同意しつつ、でも少しは運動で老化を遅らせてみようとは考えている。しかし、私の場合、この世にはいおさらば!以前に、大学からはい、おさらば!がまずある。3年後、正確には35か月を少しきって、一千日よりやや長い。

 

であるから、「退任までほぼ一千日」として、山田の「あと千回の晩飯」へのオマージュでこのブログを始めることにする。大学内外で、公私分かたず、昼夜をとわず、考えたり、考えなかったりしたことを、少しだけ記して、自分の心覚えにしようと思う。まあ、60年間ずっとたいしたことは考えてこなかったから、突然思考が深まるわけでもない。かといって、洞察あって趣向に満ちた文章も書けるわけでもない。ぼちぼちぼちぼち、始めたい。