「挨拶はたいへんだ」

数年前修士を卒業した三宅さんから結婚式の乾杯を依頼された。結婚式での挨拶は、これが最初ではなかったけれど、以前はまだ頭立ちをしていたので、祝賀の頭立ちをして、頭立ちが如何に結婚を祝う際に重要かを述べて祝辞代わりにした。しかし、2年ほど前から頭立ちができなくなったので、今回は5分間の原稿を準備した。

 

まず、丸谷才一さんの『挨拶はたいへんだ』(朝日新聞社、2013)を書庫から引っ張り出して読み始めた。丸谷さんがこれまでにした祝儀、不祝儀の数々が納められ、かつ、野坂昭如さん、井上ひさしさんとのふたつのあいさつをめぐる対談が納められている。これには載っていないが、藤森さんの何かの授賞式で丸谷さんが挨拶した際、きちんと原稿を準備して、洒脱のお祝いをしたのに強い印象があったからだった。

 

挨拶は短く、原稿を準備する、趣向(工夫)を入れる、具体的に、引用はひとつだけ、なぜ挨拶するかは説明しない、一夕の歓を尽くすこと、など。要点はいくつかあって、例文がたんまり載っている。もともと丸谷さんの文章には私淑しているので、そのノリで作ってみた。固有名詞も出ているけれど、FBにも本人が掲載しているので、良いだろうと思って、そのまま掲載した。ちなみに、原稿に1週間、読む準備は5回くらい、時間を測って練習した。タイトルはのちにつけたもの。

 

小鳩が鵬を慕う時:健士朗さん、愛乃さんのご結婚での乾杯のことば。

 

健士朗さん、愛乃さん、ご結婚おめでとうございます。また、お二人のご両親、ご親族の方々にも、心よりお慶び申し上げます。さて、わたくしの記憶にある健士朗さんのエピソードを二つほど、ご披露いたします。

 

私は、国際なかなか遺産委員会という活動をしておりますが、その第一号の岩手県一関市にある長さ119mの廊下をもつ達古袋小学校で、ときおり80m雑巾がけ競争をやっています。健士朗さんは、2013年8月11日におこなった第1回雑巾がけ競争で、23.2秒でみごと優勝しました。その速さ、走る際の礼儀正しさ、そして、健士朗さんが雑巾がけをした後の廊下のきちんとしたぴかぴかさ、清潔さは、見事でありました。

 

もうひとつのエピソードは、2015年2月に提出した修士論文の執筆過程とその内容です。ゴシックとかロマネスクとか、様式に偏りがちな教会建築が、いかにその形式を脱したかということを明らかにしたものです。一般にこういったテーマは、素人ですと、焦点が定まらず、既存の研究を雑多に並べたりしがちです。しかし、健士朗さんは、それらをきちんと整理し、散漫になりがちなテーマを手際よくまとめたことには、とても感服したものです。

 

この二つのエピソードで重要なのは、「きちんと」というキーワードです。しかし、この「きちんと」に、必ずしも私は、プラスに評価しているわけではありません。むしろ、それに対する小さな批判がそこにこめられています。きちんとというのは、律儀で、丁寧ですが、しかし、いかにも小粒な感じがします。

 

私は、中国のことを若干学んでおりますので、そこに引き寄せてみます。もう少しだけ、のどの渇きを、ご辛抱ください。中国には、儒教道教があります。湯島の孔子聖堂に端を発する東京大学儒教的であることは言うまでもありません。一方、それに反発して設立されたのが京大であり、いい加減ではなく、その「よい加減」さは、いかにも道教的であります。

 

さて、冒頭の健士朗さんの二つのエピソードに関していえば、健士朗さん本人が、「よい加減な」道教的な京大の建築から、きちんとしているが小粒で律儀な儒教的な東大の大学院に移って来たことがきわめて示唆的であります。しかし、今回、「よい加減な」道教京都大学の同級生の愛乃さんと、儒教的体質を求めて東大にやってきてしまった、やや小粒な健士朗さんが結婚するということについて、私は、何かもやもやしたものを感じないわけにはいきませんでした。そこで、少し古書、つまり、荘子をひもといてみました。

 

荘子』というのは、道教を代表する、いまから2500年くらい前の、荘子のことばを集めたものです。その最初に逍遥遊篇があります。逍遥は、明治の小説家坪内逍遥の逍遥、遊は、遊ぶという字です。私などは、この三つのしんにゅうがついた漢字、しょうようゆうの如く、ぶらぶらと遊んでいるというのがとても好きです。

 

北冥に魚あり、その名をこんと為す。こんの大いさ、その幾千里なるを知らず。化して鳥となり、その名を鵬となす。鵬の背は、その幾千里なるを知らず。

 

つまり、北の方の暗い海に、こんというでっかい魚がいて、その大きさはなん千キロにも及ぶ、それが変身して、鵬、相撲取りの大鵬の鵬ですね、大きな鳥になって、その大きさは知れない。云々。

 

ここまで読んで、私ははたと気づいてしまったんですね。愛乃さんは、JALに勤務している。おお、これは、荘子にいう「ぶらぶら遊んでいる大きな鵬」だったわけです。もちろん、なにも、会社が遊んでいるといっているわけではありません、念のため。しかし、この話のもう少しあとに、小鳩やセミが「ぶらぶら遊んでいる鵬」にあこがれる、とありますが、それがまさに健士朗さんであったわけです。

 

鵬にあこがれる小鳩、JALという鵬に乗る愛乃さんにあこがれる、きちんとした健士朗さん、これですっと合点がいきました。おふたりの結婚は、2500年前の書物にすでに予言されていたわけです。

 

ただ、この荘子が最も理想とする人間類型は、実は、ぶらぶら遊ぶ鵬ではありません。さらにそれを乗り越えて、いかなる他者にも依存するところなく、自在に変化するあり方です。ご結婚を機に、ぜひ、さらに自由を獲得し、よい加減な道教の最終理想形にお二人で到達していってくだることを祈念しております。

 

というわけで、とても長くなりましたが、乾杯の音頭をとらせていただきます。

健士朗さん、愛乃さんの末永き幸せ、そして、何事にもとらわれない、壮大なご結婚、さらにここにいらっしゃるすべての方々の、ぶらぶら遊べるような、よい加減な前途を祝して、

かんぱーい!

 

 

 

千の効用

千という数字には、魔力があるかもしれない。このブログも退任まで1000日あるから始めたのだけれど、それは一万でもなく、百でもない。一万は、途方もなく多い数のようにみえて、とてもじゃなくて到達できない。一万日は、何しろ30年弱だから。でも、百だったら、すぐに到達してしまう。この匙加減が重要で、1000日となった。回数でいうと1000回は、念仏1000回、何か功徳がありそうにみえる。量が質に変化するに十分な数かもしれない。

 

身体が弱いので、私は民間療法に頼りがちで、若いころからいろいろやっている。近頃盛んにやっているのは、腕振り体操である。ネットで引くとやり方はすぐわかるはず。単に腕を何回も振るだけである。1000回やるとガンが治る、というのはやや眉唾であるかもしれないが、この1000回に惹かれてしまうのは、その数字に魔力が潜んでいるからだろう。中国の街角にいくと、老人たちがいろいろな運動をしている。後ろ向きに歩いているひと、ぶらぶらと小走りに脱力して動いているひと、そして、手をぶらぶらといつまでもいつまでも振っているひと、等々。

 

この腕振り体操は、太極拳の一種で正式にはシュワイショウという。意味としては、腕振りだが、実際の動きは少し訓練がいる。私もしばらくやっていた。ただ、今はやはり単なる腕振り体操に落ち着いている。腕をひたすら振っている姿のシンプルさは、無垢に見える。1000回で20分。それほど大した時間ではない。雑念を振り切ってひたすら数を数える。近頃は、足振りもやっていて、これはめざせ100回、今のところ左右あわせて100回。

 

肩甲骨が緩まり、心臓付近の血流がよくなり、健康になること請け合いなののだが、いまのところ誰も私の説得にのって後続するひとはいない。1000の魔力より、私のいい加減さの方が強いらしい。海千山千になるには、腕振り1000回が役立つと思うのだが。

マドを作る人

勤務先は、毎年一回オープンキャンパスをおこなっている。5月末か6月初頭の土日があてられ、今年は6月2日、3日の金、土曜日である。二日間で計3000人以上の見学者があって、かつても今もここで新たな研究が立ち上がる。いまは、もう少し社会に開かれ、近隣の小学生や遠方から理系の高校生が遠足気分でやってくる。大学院しかない建築系は、ここで志望者の訪問をうけ、品定めをする。

 

研究室ごとに、目下の研究を披露する、というのが義務であり、権利でもある。今年の2月に林憲吾さんが講師として着任して研究室をもったことから、今年はふたつの研究室が合同でテーマを決めた。タイトルは、「マドの進化系統学:Window Phylogeny ホモ・フェネストラトール(マドを作るひと)」というもので、YKKAPからの助成でおこなっている研究の成果の一端である。以下に、その全体像を示す概要文を転載する。

 

ここでやりたかったのは、ここ10年くらい関心をもっている世界の建築をどのようにひとつ枠組みで語れるかという問いへの暫定的な回答を示すことである。時間軸(人類の発生以後、現在まで)、空間軸(全球)の建造環境(建物や土木、都市計画など)を語っていくという試みはこれまで世界中に数多くあるが、作り手を顕彰するためにその成果(建物など)を並べていくカタログになりがちである。

 

偶然、YKKAPの窓研究所からの研究依頼があったことからマドについて考え始めた。総合地球環境学研究所で地球環境、地域環境に関心を寄せていたこともあって、マドを切り口に世界の見取り図を示したらどうだろうか、という考えに至った。つまり、人間は、マドを作ることによって人間になった、という仮説、いや妄想である。30枚くらいのパネルと模型の展示である。ここでは、人間そのものがマドの作り手であるとの設定である。建築家だけへの称賛ではない。

 

9月の終わりには、スパイラルで行われるYKKAP窓研究所設立10周年記念イベントにも展示する。10月からは、同じテーマで、半公開で12回ほどの大学院での講義をおこなう。忙しいのは嫌なのだが、最後の踏ん張りをしないと致し方ないかなあ。

 

以下、転載(文責村松)

マドの進化系統学:Window Phylogeny  ホモ・フェネストラトール(マドを作るひと)
5部 村松・林憲吾研究室

1.マドを作るひと(ホモ・フェネストラトール)

ホモ・サピエンス(賢いひと)とは、リンネが「自然の体系」(1758)で提唱した人間に対する種名であり、人間を他の種属とは異なる点を「賢い」という点に込めた結果である。以来、ホモ・ファーベル(作るひと)(ベルクソン,1907)、ホモ・ルーベンス(遊ぶひと)(ホイジンガ,1938)と、それぞれの時代の人間観を反映しつつ人間の本質をひとつの言葉に集約して、代わる代わる命名がなされた。

マドは、人間と環境との相互作用を、物理的に、あるいは非物理的に制御する装置である定義すると、実は、マドを作るという行為こそが、現代の人間の在り方を象徴しているのではないか、と私たちは考えている。そこで、ラテン語の窓を意味する「fenestra」 に作るひとという語尾「ator」 を付け、「homo fenestrator」(ホモ・フェネストラトール/マドを作るひと)を、この時代の人間の本質を示す種名として提示したい。

2.マドの進化系統学(Window Phylogeny)

 しかし、マドは、常にひとつであったわけではない。分化し、進化してきた。マドが発明された時点で、ひとは初めてひととなった(マドの誕生前後)。そして、そののち、気候、生態、地勢などによる地域生態圏に影響されつつ、マドは変異をくりかえしていった(地域生態圏社会のマド)。やがて、ひとは地域生態の持つさまざまな制約を乗り越え、マドによって、エネルギー、時間、空間、欲望、環境を制御し、均質で快適な生活を求めていった(成長社会のマド)。しかし、人間の数が増大し、欲望が無限に拡大することによって、地球という有限体のもつ環境収容力をはるかに超えてしまっている。この時必要なのは、定常型社会とそれを実現する定常型社会のマドなのである(定常型社会のマド)。これを突き詰める学問が、マドの進化系統学(Window Phylogeny)である。

3.本プロジェクトの主旨

本プロジェクトは、本生産技術研究所、人間・社会系部門に属する村松研究室、林憲吾研究室が共同で実施しているものであり、ここ数年の成果を提示する。私たちは、都市、建築、社会基盤施設などを包含する建造環境(built environment)を、人類の発生以前まで、また、地球全体にまで跳躍し、観察・分析・比較することによって、現代社会、未来に示唆を述べるという研究手法を採用している。

マドというのは一見、些細な対象にしか見えないかもしれない。しかし、この些細な事象の中に、人類の今後に資する多様な知恵が詰まっている。過去という異なる時間や地球の異なる空間は、その私たちのゴールに多大な知恵を与えてくれる壮大な宝庫なのである。そして、マドの進化系統学が行き着く先は、まったく新たなマドを作り出すことにある。

退任までほぼ一千日

山田風太郎は、飄々とした風貌やおどろおどろしい内容などで、私の好きな作家のひとりだが、なかでも『あと千回の晩飯』は、愛読書のひとつである。朝日新聞に1994年6月から翌年3月にかけての連載を同時代的に読み、文庫本でも購入し、いまはkindleで時折り読んでいる。1922年に生まれて2001年7月に逝去した山田はこの時72歳。それから亡くなるまでに7年あって、千回どころかその二倍半の2500日以上生きたし、それと同じくらいの晩飯を食べたはずだ。もちろん、妄想の得意な小説家であるから書いていることは必ずしも本音だけではないだろう。でも、「老徴」を感じていたことは確かだろう。

 

その時72歳であった山田ほど、現在の私は年を取ってはいない。かといって、それに遠いわけでもない。ちょっと歩かないと足は浮腫むし、関節は痛む。山田はその本で山上憶良の沈痾自哀(ちんあじあい)の文を引いて、実はそれが決して大げさではなかったことを、連載の第1回で小声で慨嘆している。私もそれは同意しつつ、でも少しは運動で老化を遅らせてみようとは考えている。しかし、私の場合、この世にはいおさらば!以前に、大学からはい、おさらば!がまずある。3年後、正確には35か月を少しきって、一千日よりやや長い。

 

であるから、「退任までほぼ一千日」として、山田の「あと千回の晩飯」へのオマージュでこのブログを始めることにする。大学内外で、公私分かたず、昼夜をとわず、考えたり、考えなかったりしたことを、少しだけ記して、自分の心覚えにしようと思う。まあ、60年間ずっとたいしたことは考えてこなかったから、突然思考が深まるわけでもない。かといって、洞察あって趣向に満ちた文章も書けるわけでもない。ぼちぼちぼちぼち、始めたい。